1日36時間考察と新たな中国語クラス


 

 

子供達がまだ小さい頃に私はよく1日が36時間あればいいのにと真剣に考えたりしていた。

小学生と乳幼児を抱えながらフルタイムで働いていてとにかく時間が足りなかった当時の私。

助けてもらえる人は居ず、今思い出してもその忙しさがリアリティを帯びて蘇り吐き気がするほどで、特に上の娘の習い事でイベントがある時などは夜に練習場まで送迎、まだ1歳児の次女を車中であやしながら長女の練習が終わるまで待ったものである。

そして翌日はまた仕事。(この辺りで吐き気を催す)

朝、子供たちを車に乗せて家を出るのは7時前。

美容院は子連れ、当時通っていた美容院の受付の方に子供達を見てもらっていたっけ。

あまりに毎日が必死すぎて自分のために何かをするということを想像すらしたことがなかった気がする。

無理矢理にそうしたことはあったかもしれないけど、記憶にないので空回りしていたのかもしれないし、子供達可愛さゆえに子供との時間が当時の私に一番の楽しみだったのだろう。

あと、仕事をしている時が子供と離れられる自分の時間だった。

 

現在はと言うと既に長女は経済的にも名実ともに独立し、来年から大学生の次女は食事は自分で作るし、安全な国に住んでいる故で送迎は不要、既に私の時間は仕事をしていてもたっぷり残っている。

人が公平に得られるもの、それは1日24時間。

何に使うか、どう使うか、各々の価値観で異なるだろうし、最近では年々歳を取る私の時間を他人に削られるのは違う、またその逆も私はしたくないなと考えてしまう様になった。

歳を取るごとに自分の為の時間の使い方にアグレッシブになったといえばそうかもしれない。

今の忙しさがまた楽しくて仕方ない。

 

 

そこで、この一年習ってきた中国語は仕事の休みの日のクラスなのだけど、違う先生にも習ってみたいと思う様になり都合のいい時間帯のクラスを探していてやっと見つかった。

時間は仕事終わってからの夜のクラスで既に始まっている。

クラスメイトは色んな人種、国籍の方々で老若男女15名でとても楽しい。

帰宅が早くても11時近くになる。11時というといつも寝ている私は既にへとへと。

寝支度を簡略化したい一心で、毎日使うには肌に合わなかった画像のメイク落としをこの日のためだけに使っている。

こういう時短はアリだよなと思いながらメイクを落とし、初老の肌のためにセラムを塗りたくる。

週に1日だけならこのメイク落としは悪くない。

そして本当に言葉通り、笑えるほどに秒で寝入ってしまうのである。

ぐっすり寝たら翌朝はいつもの様にダンベルエクササイズして、自分自身に悦に浸っている。

週に二度、違う先生、異なるカリキュラムで習う中国語、もう少し理解にスピードが上がれば嬉しいけれどさてどうなるか。

 

エクササイズについても最近アップデイトしたので、これもまた何れブログに書き留めておこと思う。

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