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Vegetarian Laksa

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        私はココナッツ風味が少し苦手なのに、ここに来てから初めて食べた ラクサ は虜になってしまった。   このはまり具合をどう表現すればいいのかわからないけれど、一度食べたら定期的に食べたくなる、そんな風。   この日、語学クラスの前にさっと夕飯を済ませようと、 ローカル企業のベジタリアンレストランへ入ってみた。   入店するとカウンターに設えてあるガラスケースの中に色んな惣菜が入ったケースが並んでいる。   社食や学食といった感じといえばいいのか、私の前の女性が慣れた雰囲気でテイクアウトらしい容器に惣菜を入れてもらっていて、それを眺めているとどうやらオーダーに一定のやり方があるらしく「これは私が苦手なものだー」と一瞬怯んでいたのだけれど、   『セーフエントリー(コロナ対策のため、国が人の動きを管理するシステム)して入店してしまったし、私に残されたここでの暮らしは限定的なのだし!』   と、数秒の間に私の中の正しい人が弱い自分を戒めたのでオーダーを続行することにした。(大袈裟ですけど本当にこんな感じ)      前置きが長くなってしまったけれど、私の中の正しい私の戒めにより無事にラクサをオーダーすることができた。     ここのラクサはベジタリアンで、サーブしてくれたおばさんの説明ではMSGも使っていないとのこと。 『辛いのにお水頼まなくて大丈夫?辛いよ?』 と、スパイシーさについて念を押してくれて(私が外国人だと気がついていたのだと思う)、この説明通りにラクサならではのスパイシーさが後を引く美味しさ。   これがベジタリアン仕様?   普通なら海老の出汁を使うのだろうけど、想像するにマッシュルームシーズニングを使っているのではないかと。   丸いフィッシュボールならぬベジタリアン仕様のお団子の歯応えが私には少し物足りない感じはしたものの、麺のテクスチャは他店の小刻みにされたものよりも好みだった。 今こうして画像をもう一度見ると、他の店ではデフォルトで入っている茹で卵すら入っていないことに気がついた。 ちなみに海老状のものは小さく刻んだ蒟蒻でできている。 このアウトレットで特筆しておきたいのはオーダーを取ってくれた男性の柔らかく、とても紳士的な雰囲気と相まった話し言葉。   軽い雰囲気でさっと注文が出来るファストフード的な立ち位置のベジタリアンレストラン

1日36時間考察と新たな中国語クラス

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    子供達がまだ小さい頃に私はよく1日が36時間あればいいのにと真剣に考えたりしていた。 小学生と乳幼児を抱えながらフルタイムで働いていてとにかく時間が足りなかった当時の私。 助けてもらえる人は居ず、今思い出してもその忙しさがリアリティを帯びて蘇り吐き気がするほどで、特に上の娘の習い事でイベントがある時などは夜に練習場まで送迎、まだ1歳児の次女を車中であやしながら長女の練習が終わるまで待ったものである。 そして翌日はまた仕事。(この辺りで吐き気を催す) 朝、子供たちを車に乗せて家を出るのは7時前。 美容院は子連れ、当時通っていた美容院の受付の方に子供達を見てもらっていたっけ。 あまりに毎日が必死すぎて自分のために何かをするということを想像すらしたことがなかった気がする。 無理矢理にそうしたことはあったかもしれないけど、記憶にないので空回りしていたのかもしれないし、子供達可愛さゆえに子供との時間が当時の私に一番の楽しみだったのだろう。 あと、仕事をしている時が子供と離れられる自分の時間だった。   現在はと言うと既に長女は経済的にも名実ともに独立し、来年から大学生の次女は食事は自分で作るし、安全な国に住んでいる故で送迎は不要、既に私の時間は仕事をしていてもたっぷり残っている。 人が公平に得られるもの、それは1日24時間。 何に使うか、どう使うか、各々の価値観で異なるだろうし、最近では年々歳を取る私の時間を他人に削られるのは違う、またその逆も私はしたくないなと考えてしまう様になった。 歳を取るごとに自分の為の時間の使い方にアグレッシブになったといえばそうかもしれない。 今の忙しさがまた楽しくて仕方ない。     そこで、この一年習ってきた中国語は仕事の休みの日のクラスなのだけど、違う先生にも習ってみたいと思う様になり都合のいい時間帯のクラスを探していてやっと見つかった。 時間は仕事終わってからの夜のクラスで既に始まっている。 クラスメイトは色んな人種、国籍の方々で老若男女15名でとても楽しい。 帰宅が早くても11時近くになる。11時というといつも寝ている私は既にへとへと。 寝支度を簡略化したい一心で、毎日使うには肌に合わなかった画像のメイク落としをこの日のためだけに使っている。 こういう時短はアリだよなと思いながらメイクを落とし、初老の肌のためにセラムを塗りたくる。

Gobi Manchurian Again

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  前回 の悔しさを鎮めるためにまた作ってみた。(結局は凝り性なんだな) これが98%で理想形に近づいたGobi Manchurian。 残りの2%はカリフラワーの全量にソースが足りなかったことで、味はほぼ完成形。 前回との違いはスパイスを加えたことがひとつ、でも大きな違いはソイソースにあって、今回はダークソイソースを使ったこと。 職場のインド女子に見せたら、『いいね!これは私の知ってるマンチュリアンよ!』と言ってもらえた。 娘も太鼓判を押す美味しさだったので私の晩酌のために作ったのに、『マミーが全部食べられなかったら言って。私が食べたいから』と。余程気に入ったらしい。   以下、簡単な覚書。 生姜擦り下ろし、大蒜みじん切りを炒める。今回はアボカドオイル使用。 スパイスを加える‥‥パプリカ、チリパウダー 調味料を加える‥‥ケチャップ、ダークソイソース、デーツシロップ極少々、酢、シラーチャ 揚げたカリフラワーを炒め和える。   学校から帰った娘のスナック用にカリフラワーを軽く茹でたものを冷蔵庫に置いている。 量を少し多めに茹でておけばひとつの工程を省けるなと思い至った。 暫くははまってしまって毎金曜日に作ってそうな気がする。    

ビャンビャン麺

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    日曜日の昼下がり、一人ビール。 この日はさほど暑くはなかったけれど、常夏の土地ならではビールが最高に美味しい。   この日はちょっと用事で立ち寄る所があったので、以前から気になっていたローカル色の強い飲食店へ行ってみた。 一人だからテーブルは相席かなと思い、一応お姉さんに訊いてみたら、すぐ片付けるから待ってて!と言われ、きちんと四人がけの席へ案内してくれた。 食べたいものは決まっていたので迷わず頼み、飲み物はどうするかと訊かれたのでビールを頼んだ時にお姉さんの手が一瞬止まってちょっと驚いた風だったのは、この国では女一人で来店していきなりビールを頼む人が少ないのかなと思った。 冷え冷えのビール、一気飲みでボトル半分無くなった。(かなり美味しかった)       これこれ、これが食べてみたかったもの。ビャンビャン麺。 随分な太麺は、昔叔母が作ってくれた手打ちの”ほうとう”を思い出した。  叔母の作るほうとうはコシが強く、翌日になっても麺がのびていなくて美味しくたべられたっけ。 この麺もかなりコシが強い。 噛み切り難いのと、麺の端が見えず、取っても取っても端が出てこなくて、食べながら思わず笑いが込み上がってきてしまった。 かなり怪しい客だったのではと思う。(光景を思い出し今もまだ笑いが出てしまう) 温かい麺にきゅうりやトマトの潰したもの、チリ、木耳ひとつ、炒り卵様のもの、そして浅い丼の底には少しのグレイビーが入っている。 熱くもなく、また冷たくもなく、初めて食べるタイプの麺料理。 具材のトマトは東南アジア特有のトマト。 イタリア料理などには向かないタイプで、だけどアジア料理には抜群に合うので理に適った食べ方なんだろう。 逆にこれをケチャップやマリナラソースを作る様な完熟トマトで作るとまた違うと思う。 黒酢、醤油、チリソースがテーブルに置かれているので、この黒酢とチリを入れ混ぜると更に美味しい。 肉入りと肉なしが選べる様になっていて、次回は肉無しでもいいかな。 と言うのも、こちらで食べる肉まんや、こういう感じの麺類に入っている肉がどうもイミテーションぽくて、いまいちそれが苦手だから。 ところで、ビャンビャンという漢字が複雑で、どうやら画数の一番多い漢字らしい。 タイプできるユニコードを探すのが面倒なのでカタカナにしたけれど、店の看板には漢字の他にローマ字で、Byan

Gobi Manchurian

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  少し前にいつものインディアンレストランからデリバリー した一皿がとても美味しかった。 引用 Gobi Manchurian  Gobi(ゴビ)はカリフラワー、Manchurian(マンチュリアン)はインドの中国料理の意味で、さっと茹でたカリフラワーに軽めのbatter(天ぷらの衣みたいな感じ)をつけてカリッと揚げ、別に作ったソースと炒め絡める。 今回作ったレシピではソースの少ない酢豚みたいな味付けになった。 これはこれで美味しかったけれど、あのレストランのゴビマンチュリアンはどちらかと言うと関西のたこ焼きやお好み焼きのソースの様なコクがあり、私はあの方が好みだなと思った。 職場のインド女子に聞いたら、ママが作るマンチュリアンの材料は大抵はポテトらしい。 この間ヘナを探しにインド系スーパーへ行ったらゴビマンチュリアンのソースの素を見かけた。 職場で聞いてみたところ件のインド女子曰く、ママは時に使うみたいだ、と。 今度行ったらひとつ買ってみようと思う。 前回の投稿で凝り性と書いたけれど、この料理に至っては手順が多く洗い物が増えるので日々の研究材料には向かないな、と。 やはり毎日のこととなると洗い物が少ないシンプルなお料理の方が試しやすい。 しかし、金曜日の夜に思い立って作ってみたインド中華の満足度は色んな意味で高かったけれど。 もう一度あのレストランのを食べてみるのと、他のお店でも頼んでみたりして味を比較し、このメニューはまたリベンジしよう。 などと考えているくらいにはやはり凝り性だといえるのか。