12月

 

12月に入った。
 
またゴバンノアシの花が咲き乱れる季節になった。常夏の微細な季節の移り変わり。
ブースターショットを打った帰り道、ちょうどひらひらと花弁が落ちて来たのに遭遇する。
ここでの初めての12月にこの花を見つけた朝のことを思い出し懐かしい気持ちになった。
 
今年の12月は、2021年最終月ということよりも、
私にとってはここでの暮らしに終わりが見えてきたことの方がインパクトが強い。
 
何ならクリスマスの飾り付けすらしていない。
いつもならサンクスギビングあたりでは少なくともドアにリースは飾るのに。
 
昨年はコロナ禍という目に見えない相手と対峙していたら一年が終わってしまった感じはあれど、
毎日が未知で日々変わる政府の対応にあたふたしたり
身内の他界など本当に色んなことがありすぎて、今思い出すとそれなりに長かったように思える。
 
だけど今年は。
 
名実ともに子育て終了。しかもコロナ禍で大学に入る娘を外国に送り出す。
(なんとチケット予約者以外は空港内にすら入れなかった) 

特に娘が去った後のこの半年はとてつもなく早く過ぎてしまった。
 
渡航前夜に私と一緒に寝たいと言う娘と、久しぶりに娘のベッドで並んで寝たこと。
娘の部屋に入ると暫くの間はその日の娘を思い出した。
 
渡航当日に空港までのタクシー内で私の手をぎゅっと握ってきた娘は、
それほどに不安だったのだろうなと思う。
一週間ほどは娘の滑らかな手の感触がまだ残っているのに当の娘はいない不思議さと、
海の向こうで無事にやっているのかという心配から不安感に襲われたりもした。

また、街へ出ては娘を思い出し、突然に鼻の奥がツーンと痛くなり思わず涙が出そうになったり。
 
仕事中のオフィスでは度々目の前がふらっとした。
実のところ私はあまり眠れていなかったのだと思う。
 
それでも娘の不在には徐々に慣れてきて、おかしな事には現在私の周りにいてくれる人達、
特に職場の同僚たちとの関係が以前よりも近くなった。
 
それは私が私でいられているといえばいいのか、
今までならどこかにお母さん然とした部分があったけれど、
すっかり娘と離れ、環境に慣れてきたら母親気分が抜けてきたんじゃないか、と。
 
今は職場の皆と親しくなればなるほど離れ難く思えてきてちょっと困っている。
癖の強い英語の雑談を聞くともなしに聞いていると、この環境から離れるのが寂しくなる。 
 
今年の誕生日当日に皆んなにお祝いしてもらった時の画像は記念としてパソコンへ記録した。





ともかく2021年も最終月。
 
今は寂しさ半分、そして帰る日を想像してそわそわしています。

 
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